大沢樹生 子供 虐待 週刊文春
元「光GENJI」の俳優・大沢樹生(43)が、2005年に離婚した女優・喜多嶋舞(40)との間に生まれた15歳の長男を虐待していたと27日発売の「週刊文春」が報じている。
同誌は、大沢から逃げる形で自宅を飛び出し、同級生の家に滞在しているという長男を直撃。長男は、大沢から包丁や日本刀を突きつけられることがあったことを告白している。
大沢の所属事務所は、「大沢は息子のために努力し、奔走してきましたが、記事に書かれていることと事実が異なることが多々あります」とファクスでコメント。大沢自身は「今後も親として息子と向き合っていかなければならない」ため、コメントを差し控えるとしている。
東京富士幼稚園、江東区立第四大島小学校、江東区立第二大島中学校、江東区立第四大島中学校を経て、明治大学付属中野高校定時制中退→ウィッツ青山学園高等学校卒業。
身長177cm、体重67kg、血液型A型。左利き。
1982年(昭和57年)1月17日、姉が履歴書を送り、小学校6年生の3学期の時にジャニーズ事務所に入所。
1983年(昭和58年)3月25日、イーグルスのメンバーとしてレコードデビュー。しかし、同グループは後に自然消滅。その後は、NHK『レッツゴーヤング』のレギュラーとなり、「サンデーズ」の一員として活動していた。
1987年(昭和62年)8月19日、内海光司と共に光GENJIのメンバーとして再びレコードデビューを果たす。当時18歳であったが、20歳と2歳年上にサバを読んでいた。田原俊彦をはじめとして、当時はアイドルが年齢をいつわることはよくあることであった。
1994年(平成6年)8月31日、佐藤寛之と共に光GENJIを脱退、ジャニーズ事務所を退社。翌1995年(平成7年)に個人事務所「サクセス」と、ファンクラブ「MOST」を立ち上げた。俳優業の他に、ソロ歌手としてもシングルやアルバムを数枚リリースした。
1996年(平成8年)に女優の喜多嶋舞とできちゃった結婚(妊娠3か月)するが、2005年(平成17年)9月20日に離婚。なお、一人息子の親権は喜多嶋側にあったが、2007年(平成19年)4月より大沢が親権を持つことになった。
2006年(平成18年)11月、自らが経営する芸能事務所・ドリームフォープロモーションを立ち上げた。
2007年(平成19年)8月、 初プロデュース作品「怪談牡丹灯篭もっともっと愛されたかった」公開。
2008年(平成20年)4月26日、一般人の女性と再婚。そして同年6月にアパレルブランド「STREET STAR」を立ち上げた。
2008年(平成20年)11月、自叙伝「昨夜未明、大沢樹生が死にました…」(カンゼン刊)を出版。
2009年(平成21年)7月21日、日本テレビ系「有名人が集まる結婚相談所」に妻と出演。山本淳一がサプライズで登場。約15年ぶりに光GENJIメンバーとのTV共演となった。
2010年(平成22年)水戸黄門第41部で、レギュラー出演(虚空無幻斎 役)。
2010年(平成22年)8月、 第2弾プロデュース作品「捜査線 LINE OVER」公開。
2011年(平成23年)4月6日、 いい旅夢気分SP出演(山本淳一と共演)。
2011年(平成23年)5月25日、「東京ジョー」のアーティスト名で、約10年ぶりにシングル「ガキの戯言」を発売。
2012年(平成24年)5月12日、日本テレビ系メレンゲの気持ちで、夫人が不妊治療により受胎、出産予定日は10月と公表する。後刻、胎児異常により妊娠継続は困難と医師が診断する。5月24日の死産を6月ブログにて公表する。